バンド・デシネ実写化/シンギュラリティの先の先
圧巻は駆け抜けるようなイントロダクション、
近未来・超未来設定を物語る導入アヴァン部分だ。
まるで80〜90年代の日本SFがリスペクトされているような既視感、
それはフランスのバンド・デシネ(漫画)を原案・下敷きにしているからだろう。
かつて「スターログ」という日本で発売されていたSF雑誌で、紹介されていた
欧米のSFイメージと、それを存分に吸収した日本のSF小説・漫画・アニメが、
逆に全世界に与えた返した影響とが呼応し、到達した想像力の結晶が、
昨年2017年公開の「ブレードランナー2049」などとともに、
今まるで里帰りするかのように、私たち日本の観客の眼前にも迫まりくる。
「レオン」のリュック・ベッソンの監督、長編演出物としては17作目。
20年前の自身監督のSF傑作「フィフス・エレメント」の設定・構想規模を
軽々と凌駕する新作『ヴァレリアン・千の惑星の救世主』だ。
ある惑星で平和的に暮らしていた異星の人類が、その近くで行われた(地球人が加担した)宇宙戦争によって故郷を失う。
これは物語の伏線の一部に過ぎないが、この時に死に至ったある女性異星人の意識・魂が、生きている地球人、主人公ヴァレリアンの生命に転移・共生する。
現実的に想像可能なSF的設定の他に、心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した
集合的無意識のような概念のストーリーラインが併走することで、
この物語の重層性・深さが増すようにも感じられる。
我々・地球人類は、この広い宇宙の中で、生物学的に物質的に、
ただ単独で生存しているわけではなく、魂や意識という、
〜あるようでない、あるのかないのか不確かな〜ものも含め、
決して単独の生命体ではないのだ。
AI・人工頭脳が人間的能力を超えるときにこそ、
この人間の不確かな「あるようでない・あるのかないのかわからない」ものの存在が
際立つ時代がやってくるだろう。
そんなふうに、驚異的なスペクタクル・ストーリーに身を委ねながら、
様々な人間の未来を想像しながら楽しむ一編である。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=9&v=BszXhUjJz00
「ヴァレリアン・千の惑星の救世主」2018年3月30日(金)全国ロードショー